追記ニュースあり
インドネシアは16世紀、オランダの侵略によって植民地化され、東インド会社(VOC)が設立。現地民を奴隷化し、香辛料の栽培などに従事させ搾取を行った。
この植民地経営がオランダ、イギリスなどにより350年続く。
1942年オランダが日本に宣戦布告したことによって、日本はインドネシアに侵攻8日間でオランダを全面降伏させる。
このとき皇軍はインドネシアの人々にインドネシアの各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた。
オランダ人捕虜はそれまでインドネシア人の政治犯を収容していた強制収容所に収容されます。その時彼らは「自分たちが入ることになるならこんなに不潔にはしておかなかった」
と嘆いたと言われています。
皇軍は独立推進派のスカルノやハッタらを解放し、戦後独立を約束することで、石油物資、金属、食糧支援などの協力を得ます。その証拠として「オランダ領東インド」は「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称されました。
一方、オランダ人の手下となって、商売をした華僑は自分の職が奪われたことを悔しがります。
皇軍は積極的に行政にインドネシア人を参加させ、教育に力を入れ、軍事訓練を施しました。
教育に関する日本軍の注文は英語、オランダ語の禁止、日本語教育、唱歌、教練を含めるということだけでした。もちろん、インドネシアの歴史、インドネシア語、インドネシアの方言もカリキュラムに含まれ現地人主導で行われた。イスラム教の制約も撤廃した。インドネシアの歴史を教育したのはこのとき初めてだったし、英語オランダ語によって廃れていたインドネシア語が発展した。
1943年後半、戦局が厳しさを増すと、「郷土防衛義勇軍(PETA)」を結成。独立義勇軍を募るとすぐに数万人に膨れ上がります。1945年スカルノやハッタに憲法委員会を作らせて独立の道筋を作りました。
1945年8月15日日本の敗戦。
敗戦後、戦勝国??となったオランダから電報が届く。
「日本軍は連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、治安を確保すべし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は必ず鎮圧すべし」
「原住民の集会禁止、武器の携帯、民族旗の掲揚を取り締まるべし。これがためには、兵器の使用も許可する。」
これに激怒した皇軍とインドネシア人は独立戦争を戦うことを決意する。
1945年8月17日スカルノは連合国の了承を得ることなく独立宣言を発表。9月4日にインドネシア共和国を樹立。それに対して。連合国のイギリスとオランダがインドネシアに宣戦布告をしインドネシア独立戦争が始まる。
初期の残留日本兵はオランダに協力するように見せかけた。しかし、武器の運送を命じられると、その武器をインドネシア人に横流ししたりして支援した。
武器横流しがばれると、PETA側に協力して全面に戦争に参加する。
度重なるゲリラ戦の結果、4年5ヶ月の戦争で80万人が死亡し、2000人の日本軍のうち,1000人が戦死した。
ウィルヘルミナ女王のオランダ政府は連合国の非難を浴びるまで、最後までインドネシアの再植民地化をあきらめなかった。
1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬され、6人の日本人が独立名誉勲章(ナラリア勲章)を受賞している。

こういう因縁があって、8月17日の独立記念日にはインドネシアの独立記念日には男女2人に皇軍の扮装(PETA将校)をした3人で国旗を掲揚するそうです。

ちなみにインドネシア独立のことを”ムルデカ17805”と言うそうです。ムルデカは独立と言う意味です。178は8月17日を表します。では45年なのになぜ05なのか?それは西暦ではなく、日本の紀元節(皇紀2605年)によって表されているからです。
当時のインドネシア人の日本に対する思いが伝わってきます。
映画「ムルデカ」。 賛否はあるとは思いますが、分かりやすく映像化しています。
小野田さんのドラマに感動した方はこちらの方も見てみては?
ムルデカ 17805 | |
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インドネシア公人の日本に対する発言。
インドネシア スカルノ元大統領の発言
「我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである」
モハメッド・ナチール元首相の発言「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
アラムシャ元第3副首相の発言「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
インドネシアタイムスのジャマル・アリ会長の発言
「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金を出せ」などとは、360年間、わが国を支配した、オランダにさえ要求しない。」
インドネシア ユドヨノ大統領の発言
「国のため戦った兵士のために参拝を行うのは当然だ」
インドネシア 元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍の発言
「今、インドネシアでもその他の国でも、大東亜戦争で日本の憲兵が弾圧したとか、労務者を酷使したなどと言っているが、そんなことは小さなことだ。いかなる戦場でも起こり得るし、何千年前もそうだったし、今後もそうだ。日本軍がやった最も大きな貢献は、我々の独立心をかきたててくれたことだ。日本人はインドネシア人と同じように苦労し、同じように汗を流し”独立とは何か”を教えてくれた。これはいかに感謝しても感謝しすぎることはない」
ブン・トモ元情報相の発言「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)
インドネシアの中学3年用の歴史教科書 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた」
他にインドネシアの公人の発言があれば、教えてください。
オランダは日本に謝罪を求める一方、インドネシア独立の際に、60億ドルを請求した。
1995年、オランダ女王がインドネシアを訪問した際「植民地支配はお互いに恵みを与えた」とスピーチしてインドネシア人を激怒させました。
日本敗戦後、オランダ軍による捕虜虐待、戦犯法廷は熾烈を極めた。
連合国中、日本との戦闘で最も被害の少なかったオランダは戦勝国中最も多い
236人の日本将兵を死刑に処した。そのほとんどは見に覚えのない捕虜虐待の罪や現地人拷問の罪などの冤罪であった。
かの有名な加賀前田家の子孫で華族の前田利貴陸軍大尉も現地人の助命嘆願に関わらず、「現地人拷問致死」の罪で処刑されました。しかし、あまりにも堂々とした最期であったため、その後捕虜に対する虐待が少なくなったと言われています。
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<追記>
インドネシア独立戦争 オランダ外相「遺憾」 1945年の宣言「有効」認める
インドネシアの独立六十周年記念式典が十七日、ジャカルタ市内で開かれ、旧宗主国のオランダからボット外相が出席した。独立記念式典にオランダ閣僚が出席するのは初めて。外相は一九四五年八月十七日にスカルノ初代大統領が行った独立宣言についてオランダ政府として初めて有効であると認めたうえで、第二次大戦後、四年間続いた独立戦争について遺憾の意を表明した。
共同通信では謝罪となっているが実際は遺憾の意程度のもの。
戦後4年5ヶ月80万人のインドネシア側の犠牲者を出したことに対しての遺憾の意を表し、60年経ってやっと45年8月17日の独立宣言を認めたわけ。
しかし、戦前350年の植民地支配については全く触れられていないんだが…
日本がどれだけ謝罪し賠償を行っているんだか_| ̄|○
インドネシアの話しは興味深く読ませてもらいました。ボチものです。ご活躍をお祈りします。
インドネシア独立の話、面白く(面白くと言うと語弊がありますが)読ませて頂きました。
後、ユドヨノ大統領の言葉「国の為に戦った〜」
は、共感させられます。
私個人としては、首相が靖国神社に参拝してもいいんじゃないかと思ってるんです。
特攻隊で若い命を散らせた事に対してお参りしたいという気持ちがどうして分からないのかな、と思うのです。
わざわざ自分のようなサイトに出向いていただいてその上TBまでして頂いて感謝します。
なるほど思いながら記事を拝見させてもらいました。
では、これからも頑張って下さいね。
学校の歴史の教科書では習わないような、インドネシア戦争のお話、大変興味深く読ませていただきました。
実際に当時の日本がどのような思いでインドネシアのためになるこの行動をとったかは定かではありませんが(コレはすさんだ考えかもしれませんが、もしかしたらインドネシアのためというよりも、何かさらに裏のほうで日本に益のあるためだけに起こした行動ではないかと考えられなくもないですので)、インドネシアとの親交が深まるよいすばらしい行動を日本兵がしたことが日本人としてうれしいですね。
とても興味深いエントリーだったため、思わず独りよがりな意見をぐだぐだと書いてしまいまして、すいません;
とてもすばらしいテーマなブログですね。これからも運営がんばってください。
映画「ムルデカ」見ました。俳優さんもいいし、何といっても内容が良かったです。
しかし「ムルデカ」や「プライド」そしてハリウッド映画の「ラストサムライ」ですらも、テレビで流しませんね(+_+;
日本人の誇りある歴史に関する映画はことごとく放映しないというのは、本当に残念です。
インドネシア独立戦争、恥ずかしながらまったく知りませんでしたので、興味深く、といってはアレですが、じっくりと読ませていただきました。
インドネシア公人の方々の発言がとても清々しく、立派で、感動してしまいました。
映画のほうも今度見てみることにしますね。
ありがとうございました。
勉強させて頂きました。
こちらで紹介されているDVD、本など購入させていただきました。
身近にインドネシアからの留学生がいますが、向こうの人は日本人を友好ととらえていると聞いた事があります。
記事を読ませてもらい、なんとなくですが、解ったような気がします。
TBありがとうございます。
私は初めてインドネシアの独立について知りました。この事実をいったい何人の日本人が知っているのだろう?
日本は割と市民レベルまで情報が行き渡っている国だと思いますが、どうしても戦争の事となると東アジア(中国、韓国、北朝鮮)の話題が中心です。
戦後60年を機会に私も戦争についてもっと調べて平和の尊さを伝えていきたいと思います。
近いアジアの事なのに、インドネシアの事はほとんど知りませんでした
なるほど、勉強になります
以前、インドネシアのサンバス少将という方の話を書いた記事をTBさせて戴きました。
よろしければご参考ください。
http://sakurasakurasakura.seesaa.net/article/4959537.html
映画「ムルデカ」、私も見ました。なかなかよかったですよ。
私の本棚に「オランダ東インド会社 永積昭著」という本がありますので、オランダ支配下のインドネシアの歴史はある程度知ってます。
そういえば、かつて悪名高いアパルトヘイトを断行した南アの白人アフリカーンスはオランダ移民の子孫でした。
インドネシアにも華僑が多数いて、彼らは盛んに反日キャンペーンを行ってます。もっとも、彼らは他の東南アジア諸国同様憎まれていて、アジア通貨危機の後、華人に対する暴動が起きてます。
日本の勃興と第二次世界大戦、その後の共産主義の世界的拡大への恐怖が、植民地主義の終焉をもたらしたのは否定できない事実です。
インドネシアのお話は参考になりました。
同じアジアと言ってもその国の歴史やそのときの状況によって、支配された側の気持ちは大きく違ってくると思うので、このお話を読んでもやはりわたしの意見は変わりません。
でもきっと平和を築くための方法や考え方が違うだけで、もっと深いところでは共通する部分があるのだと思っています。
>>あさぎさま
靖国は要するに米国のアーリントン墓地の様なものです。天皇陛下、首相が参拝されるのは当然ですね。
>> ゴコウイシさま
常に疑問を持つことは重要なことであろうかと思います。もしかして彼らは小野田少尉と同じく、日本のためにも戦争を継続しようとしていたのかもしれません。
>> ふみこ@なでしこ通信さま
「プライド」はDVD化もされていませんよね。東條は非情で能力的には低かったのかもしれませんが、日本が決して狂気の国ではなかったことを汚名を着てまで訴えたことは日本国民として知らなければならないことだと思います。
>>桃さま
私もつい数年前までは知らなかったことです。この国がいかに歪められてきたかの証明だと思います。このことは氷山の一角でしかありません。
歴史を振り返るといろいろ見えてきますよね。
でも、戦争って本当にいやですよね。。。
インドネシアの話は、非常に興味を持ちました。
この春、ジャカルタへ行ってきました。
こういう歴史の上に今があるのかと目からウロコです。勉強になりました。
>> とびらさま
お気を使ってくださり、ありがとうございました。皆さんで見て伝えてください。
>> tom1975さま
素晴らしいですね。一度そういうことを聞いてみても良いかもしれません(あくまで謙虚に)インドネシアの人も案外知らない人が多いみたいです。
むこうでは華僑の悪名が高いですから、それよりはましなのかもしれません。
>> しんたさま
国民のあまり知らない教科書では教えない歴史。それを教えようとすると、教えるなと反対運動が起こる。おかしくなった国です。
コメントありがとうございます。
支那はまがいなりにも戦場であったので、日本に恨みがあるのは分かる。しかし、他のアジアと朝鮮との日本感情を比較してみるとには明らかに朝鮮には越えられない壁があると思う。
確認し修正させていただきました。
(勘違いしていたのでTBはされなくてちょっと残念(笑))
「ムルデカ」も好きで何度か観てます。
先日の「小野田さん」の物語も興味深く拝見しました。
まだまだ影の歴史がたくさんありますね。次の世代に伝えるためにもこの辺りでもう少しクローズアップされ正確な認識を国民が持てるようになったらと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaz1910032/48000
”小野田少尉”についてだけでなく、
”インドネシア”のことについても、
とても勉強になりましたっ。
2回もTBしていただいたのに、
お礼が遅れてしまいまして、失礼いたしました。
日本人として、戦争した相手国に対する
政府の態度に、とても恥ずかしいものを
感じているのですが、
(って、普段はオチャラケて暮らしてますが、)
本当に、日本のしたことに対する受け止め方って、
それぞれの国によって、全く違うのですね・・・。
目からウロコでした。m(__)m
でもどんな出来事も両面から事実をみつめないと分からないことがあります。
日本軍による強制労働を意味する「ロームシャ」なんて言葉も生まれたくらい、
多大な痛みをインドネシア国民に与えたことも事実なんですよね。
どんな理由があれ、戦争は本当に嫌なものです。
インドネシア独立記念式典にて国旗を掲揚する人物は、一見帝国陸軍兵士に見えますが、実際にはそうではありません。
これは、旧帝国陸軍から装備・訓練を受領していたPETA兵士が当然帝国陸軍と同一の軍装を施している事に基づく誤解です。
インドネシア人は独立を自力で勝ち取った意識が強いので、その種の誤解に強く反発するそうです。
実際、映画『ムルデカ』は現地では非常に反発が強く(インドネシア政府による批判声明有り)、ムルデカの主演女優が意趣返しとして同時期に作られた現地の反日映画にこれまた主演として出演する、という事態が起きました。
現地での興行収益は反日映画のほうが上だったそうで。
まあ余り恩着せがましいと嫌われますので……
>>aquaさま
日本軍による強制労働を意味する「ロームシャ」なんて言葉も生まれたくらい、
多大な痛みをインドネシア国民に与えたことも事実なんですよね。
強制労働や慰安婦問題は大体共産系メディアから発信されているようですね。インドネシアは華僑の勢力が財界やマスコミを牛耳っていて戦時中日本に利権を奪われたからか、反日感情を煽っています。現に共産主義者と不良華僑は取締りの対象だそうです。
こういったところにも中共の反日工作は着々と浸透しているので、冷静に警戒しなければならないと思います。
>>でぃるさま
なるほど、調べたらPETAのスディルマン将軍の銅像など帝国陸軍と同じ将校服なのでそれが正解でしょうね。ありがとうございました。
いずれにせよ、当時の日本に対する思いは伝わってきます。
コメントありがとうございます。全然かまわないです。リンク感謝です。
TBありがとうございました。
ムルデカのほうもぜひ見てみようと思います。
今回の記事で太平洋戦争における、日本軍の世間一般に知られている姿とは違う一面を知ることができたことに感謝しています。
外国語専門学校{今は外大}卒業後〜軍隊に〜
将校〜商社マンになったと〜インドネシヤに〜
戦後〜戦時中に部下だった方が来た〜話では〜
兵補の教育をして〜終戦で独立戦線に〜当時は
逃亡兵?不名誉〜蘭、英、米に分かれば〜家族に
誰にも話ができない「弟はもう死んだんだろう」
親父が話しだし10年後〜消息を尋ね歩いた〜
軍籍が何処にも無い、裁判失踪宣言確定〜
中野学校〜軍籍も消され?そのような事で〜
インドネシヤに度々行きました〜バンドン〜
ジョクジャカルタ〜旧軍人の残留者を探して〜
インドネシヤと日本の関係が良いのもその方々が
戦友として政府の高官と仲を〜今はその方々も老いて10人余りと聞く〜英霊墓地で戦友と何れ〜
会えると〜ジャカルタで暴動の時に群集に囲まれた日本人の海外駐在員が「私は日本人でこの国に
働きに来てる」群衆が引いた〜本当の話〜
華僑の人が暴動で多くが被害に有った〜
私は度々行って一度も嫌な思いをした事が無い。
ムルデカを見た時に見知らぬ叔父を思い出した。
風呂が2箇所以上有る〜大きな部屋が沢山有る。
メイドさんの部屋は〜1〜2畳「何を感じたか」
昔は主人様と奴隷?それが何百年の習慣でしょう〜
使用人と主人と同席なんて考えられない時代が長年
そこに日本軍が行き〜現地人と茣蓙の上で互いに〜
酒を飲んで手を叩いて歓談を〜旧軍人が語ってた^
彼等が驚いた〜今迄奴隷扱いが同等に扱いに〜
今も外国人専用の借家に行けばその名残が有る〜
私が日本からお菓子を〜女中さんにお茶を頼む
菓子を渡し一緒に飲もうと席を〜絶対に座らない〜
コップンカン〜「有り難う」女中部屋に帰る〜
私も現地に行けば〜外国人?現地の人の家は
戦後のバラックに大勢に家族がと金持ちは華僑?
5%の華僑が経済を占めている〜日本は多くの
工場を〜20万の人を雇用〜トラブルは無し〜
韓国の企業が進出〜当初はトラブルが腐った飯を食わしたと暴動に〜今はそのような事が無いが
日本人は好かれている国〜インドネシヤ〜
私は日、インドネシアの交流を手伝っている物です。
全くもってタイムリーなレスではなく
申し訳ありませんが、現在のインドネシアは
反日と言うよりは日本に批判的な教育を
しております。
いまだ続くオランダの圧力と欧州への追随...
というインドネシアの傾向がそうさせているようですが。
それゆえ何故インドネシアが経済的弱者なのか、
独立が遅かったのかが日本の責任になっております。
学校で日本軍に辱められたと称す村人やおばあさん達の所を訪れて
体験談を聞くというようなこと
をしております。どこかで聞いたような話ですが。
日本も援助するだけでなく、アピールすることも
大切かもしれませんね。
インドネシアの財界、政界にも不良華僑の影響が大きいと聞きます。
彼らの工作活動によって日本とインドネシアの関係が悪化していくことがインドネシアの未来にとって不幸であることをインドネシアの国民が早く気付かなければならないでしょう。
映画ムルデカでインドネシアが怒ったのは
彼らが神聖視しているジョグジャカルタ奪還戦で日本人が最初に斬り込んで行くシーンの事です。 対抗した反日映画は主役が在ジャワの華僑です。 イ国では2%の華僑が経済の9割を握っていて威張り散らし反感を買っている。 わざわざムルデカのヒロインに「極悪日本軍」などと言わせたのは見え透いたプロパガンダである。
それと華僑は独立戦争時にオランダのスパイとなりたびたび処刑されている。 そんなヤツラである。 参考文書ー残留日本兵の記録を読めば分る。
ムルデカ見たのですが、映画だけではわからなかったことが、よくわかりました。
具体的な情報補足感謝します。
世界に移民は多くいますが、多くはその地に根付きその国のアイデンティを持つものですが、華僑は世界中で秩序を荒らしまわり中華のために反日活動工作を広げている。空恐ろしい民族です。
>>猫姫少佐現品限り
歴史背景を知って観れば、また違った感動があるかもしれません。
ジョクジャ奪還戦を企画したのはぺタの大団長でイ国指令長官だったスディルマンです。 が肺病に冒されていたためにタンカに乗っての指揮だった。 そして二代目大統領となるスハルト氏は師団指揮官として突入している。 スハルト氏はぺタの銃剣道大会で優勝した猛者です。
それと独裁者と言われますが中国共産党にスカルノ大統領が取り込まれそうになった
9.30クーデターを鎮圧して国を救ったのです、それを逆恨みした共産党シンパや華僑が独裁者だと宣伝しているのが現実です。