2006年08月26日

NHKその時歴史を変えた2

NHKは何としても日本が支那を侵略し、軍部が暴走し、南京大虐殺を行っていないと都合が悪いらしい。
というわけで支那事変拡大のつづき
1937年7月
11日北京・11日18時30分
   中国第29軍・宋哲元軍長は、戦争反対(和平心)の声明を発表。   
軍政部、何応欽部長が、全兵力動員の「戦争計画」を指示。
7月末までに、戦争準備を整える、とした。 

12日 
南京政府は軍事徴発令を公布した。
中央政府外交部長、南京の日本大使館に「中央政府の同意なしに結ばれた協定は無効」と通告 

13日 参謀本部不拡大方針確認
国民政府外交部は、中央軍の北上の目的は対日参戦でなく極カ事態の拡大を避けようとする意図であり、日本軍の攻撃に対する自衛手段にすぎない、と言明した。
支那駐屯軍七項目要求
大紅門で日本軍トラックが爆破され、4人が死亡
北京郊外の豊台付近で日中両軍衝突。
この日以降も中国軍停戦協定違反続く

五相会議
杉山陸相内地師団の動員は世界的大衝動を与えるだげでなく、支那側に有利な口実を与えるので、最も慎重でなければならない。本日動員の予定であったが、今しぼらく現地の清勢を確かめた上実行されるはずである」

広田外相昨日ドイツ大使が来訪し、南京政府は局面拡大を避げる方針である」
米内海相青島など在留邦人引き上げの可能性について言及した。

14日 団河で日本軍騎兵が1人惨殺された。

15日 国府軍第三次動員(第2作戦)を下令、隴海線以南における集中は30個師団に達していた。

17日 外相広田弘毅は南京駐在の日高信六郎参事官を通して国民政府外交部長王寵恵に対し次のように要求させた。

「帝国政府ハ去七月十一日声明ノ方針通、飽迄事態不拡大ノ方針ヲ堅持スト雖モ其ノ後二於ケル国民政府ノ態度二鑑ミ左記ヲ要求ス

1. 有ラユル挑戦的言動ノ即時停止
2. 現地両国間二行ハレツツアル解決交渉ヲ妨害セサルコト

右ハ概ネ七月十九日ヲ期シ回答ヲ求ム 」

18日 宋哲元ー香月司令官会談、宋哲元謝罪の上、七項目要求受諾
 石原莞爾参謀本部第1部長、陸軍大臣に対支前面戦争回避のため、北支那兵力の長城線まで後退など思い切った措置をとるよう進言。


19日 
蒋介石 最後の関頭演説
  最後関頭一到。我們只有犠牲到底。抗戦到底。(最後の関頭に立ち至っ   た。我々は徹底的に犠牲を払わねばならず、徹底的に抗戦しなければ    ならない。)日本に対する開戦姿勢を明確にする。
  
  広田弘毅の申し入れ拒否される。
  
  宛平県城から一文字山に布陣する日本軍に砲弾が打ち込まれた。この頃から、永定河を挟んだ散発的な砲撃が繰り返されるようになる。

7月20日 午前の閣議で派兵決定に至らず、午後に日中利宇軍衝突。
    夜の閣議で条件付で内地3個師団の動員北支那派遣を決定上奏。
   蒋介石華北にて動員令を発令
   
  支那駐屯軍橋本群参謀長は内地軍派兵に反対意見を起草。
 「29軍(宗哲元軍)は全面的に支那駐屯軍の要求を容れ、逐次実行に移しつつあり」

  
  蒋介石は、宋哲元軍長を説得するため、熊斌参謀次長を北京に派遣。
  宋哲元軍長は初めて、中央幹部の説明を受けて、政府の「真意」を理   解し、蒋介石に従って、戦争準備に入ることを約束。


7月21日 陸軍省部、動員下令時期の判断を参謀本部に委任を決定。
    支那駐屯軍参謀長、事態刺激を避けるため内地動員師団を北支那にいれないよう意見具申。
国民党ドイツ人軍事顧問ファルケンハウゼン、ブロムベルグ国防長官に蒋介石が戦争決意したことを連絡。「蒋介石は戦争を決意した。これは局地戦でなく全面戦争である。日本はソ連の介入を懸念し、全軍を中国に投入できないから、中国の勝利は困難ではない。中国の歩兵は優秀で、空軍はほぼ同じ、士気も高く、日本の勝利は疑わしい」

7月22日 中国軍一部北京から撤退開始する。
      現地軍よりの連絡で内地軍派兵見合わせ

    
25日 廊坊事件
北京ー天津の中間にある廊坊で、現地支那軍司令官の了承を得て、通信線の補修を終えた。
夕飯の食事中、支那軍に襲われ、一個中隊全滅の危機に陥った。補修したばかりの通信線を使い、救援を依頼し、辛うじて助かった。

26日 広安門事件
北京入城を命じられた廣部大隊が二六両のトラックに分乗し、支那軍と打ち合わせた午後四時広安門についたが、門は閉ざされていた。折衝の上、午後七時開門した。先頭の三両が通過したとき、城壁上から一斉射撃を受け、日本軍は分断された。

この2つの事件で比較的友好的であった宋哲元29軍が対日戦争への転換が明確となり、国民党南京政府の対日開戦が確定的となった。

27日 早朝、東京で緊急閣議。居留民保護、治安回復、権益保護のため内地兵力20万人の動員が決議され、今後いかなることが起きようと、一切の責任は中国側にあるとの声明を発表した。

廣田外相は戦火が北支にとどまるかと疑問を呈し、米内海相は上海・青島への陸兵派遣の考慮を要求した。 
貴族院・衆議院両院が開催され、北支事変における陸海兵の労苦を謝し、勇健を祈る議決が採択された。

 

7月28日午前零時
開戦通告(支那駐屯軍香月司令官より宋哲元軍長あて)

午前8時
日本軍攻撃開始。北京南方の南苑を攻撃。
中国軍死者5千人。

22時
宋哲元軍長、北京放棄を決断し北京から退去。(退去に当たって、日本軍の兵站基地である通州と天津の部隊に対して、蜂起を指令。)
日本軍北京を占領。


29日午前3時

通州虐殺事件

宋哲元の蜂起命令を受け、通州の冀東保安隊3000人が暴発し、冀東政府主席股汝耕を拉致、日本軍守備隊を攻撃総兵力110人日本人居留民の虐殺を行った。

特務機関員のほとんど全員が戦死
在留邦人385人中、223人が殺された。

通州は親日政権である、冀東防共自治政府の所在地で、保安隊はこの政権に所属していたので、日本人を攻撃することは、反逆行為と解釈される。
南京の国民党政府は通州に「冀察政務委員会」を設置していた。、委員長は中国第二十九軍の「宋哲元」だった。宗哲元と通州保安隊張慶餘、張硯田は極秘裏に居留日本人の住所、家族構成を調べ上げ、リストを作成していた。
 
27日の戦闘の際、関東軍飛行隊が保安隊兵舎を誤爆したが、
しかし日本側はすぐに冀東政府の殷汝耕を訪ね陳謝と補償を申し入れた。

27日から29日頃の南京放送では「29軍が郎坊、豊台を奮還、日本軍は敗走中、蒋介石はすでに北上しつつあり、近く通州を攻撃、殷汝耕を血祭りにあげるだろう」「支那軍の飛行機200機が前線に出動」とのラジオ放送をしつこく流していた。
宗哲元との密約、29軍勝利のプロパガンダによって報奨金目当て勝ち馬に乗ろうとした保安隊が反乱に踏み切ったと思われる。

日本人居留民への虐殺行為

浜田巡査宅では長女が手榴弾で吹き飛び、長男は銃剣で刺され、夫人は凌辱された後女子師範学校まで引き立てられたが、途中で逃げ出した。

 付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、五人の女店員は射殺されていた。

食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、陰部には銃剣がさし込まれていた。他の場所には女の全裸死体が放置され、全員の陰部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ、カフェでも女店員が絞殺され、全裸のまま死体を放置してあった。
或る店では女店員全員が強姦され、陰部に箒が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた。なかには死体から内臓がはみ出し、蝿がたかった現場もあった。
 通州の高級割烹旅館だった「近水楼」では女中四人が射殺後に凌辱され、天井裏に隠れていた宿泊客十一人は北門付近まで数珠繋ぎにされて連行されたあと虐殺された。
このとき同盟通信の安東利男記者が城外に転がり落ちて一命を取りとめ、北京まで這云の体で逃げた。

 こうして保安隊は事前にリストアップしていた日本人の民家を次々と襲撃し、財産を横領強奪、片っ端から日本人を殺戮し、凌辱を重ねた。逃げ遅れた日本人は手足を縛られ鼻や喉を針金で突き通され、ひきずられ、二ヶ所に集められたうえで射殺された。

日本軍守備隊に運良く逃げ込むことができた百二十人だけが助かった。
 
日本人104人(うち冀東政府の関係者80)朝鮮人(当時は日本人、多くはアヘン密売者と醜業婦)108人が惨殺された。

この事件が日本で、詳細かつ大々的に報道されて、支那人に対する憎しみをかき立てた。

NHKは「暴支膺懲」が同僚の兵士が戦死したことで、あたかも造成されたかのようにイメージつけていたが、通州事件以降、朝日新聞、毎日新聞、NHKなど大手のマスコミが戦意高揚のために国民を煽りたてたスローガン。偽善者戦犯のマスコミは自らの戦争責任については決して追求しようとはしない。


香月駐屯軍司令官は臨時航空兵団に命じ敵を爆撃させるとともに、豊台の支那駐屯歩兵旅団長に命じて支那駐屯歩兵第2連隊の主力をもって救援させ(30日朝到着)、通州一帯を掃蕩した。
保安隊は29日16時ころから行われた爆撃を機に、戦闘をやめ北平に逃走。

30日
香月駐屯軍司令官は、次期作戦の準備をなすとして、戦闘終結を宣言した。7月7日以来の日本軍の戦死者は127人、戦傷者348人だった。この段階で未だ全面戦争には突入しておらず、大きな戦闘が行われていなかったことの証明である。

1937年12月24日、冀東政府と日本側との間で交渉が成立、冀東政府は日本側に正式陳謝の上、120万円の賠償金を支払い、解決。


殷汝耕は、その後、日本軍の手に戻され裁判で無罪となり、犠牲者追悼の義捐金を集めたり供養搭を建てたりの活躍をしたものの、日本の降伏後、蒋介石により「親日分子」の烙印をおされて処刑、悲運を辿った。

中国抗日戦争図誌という本には「通州保安隊長張慶余と張硯田の率いる2万余の兵士が寝返りして漢奸殷汝耕を捕虜にし、傀儡組織を破壊し、日本軍守備隊および浪人500人以上を殺す。」とある。
無辜の民間人を殺したことなど書かれていない。しかも殺した人数が2倍になっている。兵力も実際は約3000。

なんたら大虐殺30万人に通じる話。平気でウソが書かれてある支那の歴史記述などこれっぽっちも信用出来ない。


戦後、東京裁判において、弁護団は通州事件について、外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって、その申し出は却下された。
この事件に触れると、支那事変は日本ばかりが悪いと言えなくなってしまう、という判断である。

外務省情報部長の公式声明(八月二日)
事件が起きたのは七月二十九日の午前四時であった。三千人ほどの通州保安隊が百十名ほどの日本軍守備隊兵営を包囲し、日本人商店、旅館、民家を急襲した。通州の日本人三百八十名のうち、約二百名が虐殺された。ようやく難を免れたのは、日本軍の兵営に逃げ込んだ百二十名だけであった。

外務省情報部長談話(八月四日)
「支那人は婦女、子供をも共に、全日本人を虐殺せむと企てた。婦人の多くは掻きさらはれて、二十四時間虐待酷使された後、東門の外で穀されたが、其処まで連れて行かれるには手足を縛られ、域は鼻や喉を針金で突き通されて、曳きずられたのであった。死骸は近くの池にぶち込まれ、或る者は強力な毒物をぬりつけられて、顔がずたずたになっていた。」

NHKは盧溝橋事件から日本が支那との和平を何度も模索していた事など全く知らせようとしない。

内地軍動員、派兵自体も政府、参謀本部、現地駐屯軍、特務機関、関東軍など様々な思惑から喧々諤々とした議論が行われ、その決定は出したり引っ込められたりしていた。

しかし既に戦争を決意し、戦争準備も整い兵員を動員し兵力も移動していた蒋介石に対して和平協定などは全ての日本人が満州に引き上げでもしない限り成立するはずが無かった。

日本軍部の暴走、軍神蒋介石の聖戦、日本軍の残虐性を日本国民に植え付けたい支那報道機関シナHKにとって
日本人居留民虐殺事件、通州虐殺事件は都合の悪い事なのだろう。

さらに続く(内容は予告なく追加訂正される事があります)

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posted by 武悪堂 at 03:12 | Comment(2) | TrackBack(3) | 国賊
この記事へのコメント
TBありです。
すごく楽しくw読ませてもらいました。
これでも沢山勉強したつもりでしたが…
これでもっと勉強したいと思いました。
これからも頑張ってください。
Posted by キルア at 2006年08月31日 09:40
通州事件に関して大変勉強になりました。麻薬がらみだから当然の報いというブサヨクがいて、ここを読んでやっぱりなと納得致しました。
Posted by mirokun at 2006年09月03日 23:23
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