昭和五十五年一月十二日発行、総評資料頒布会の『大衆政治家 佐々木更三の歩み』四七六頁に、「毛沢東主席との会見、一九六四年七月十日、人民大会堂」として次のように所載されております。
毛沢東 友人の皆さんを歓迎します。−略− 日本の友人たちは、皇軍が中国を侵略して申し訳ないと言いました。私は、いいえ、と言いました。もし、日本の皇軍が中国の大半を占領していなかったら、中国人民は団結して、これに反対して闘うことができなかったし、中国共産党は権力を奪取することができなかったでしょう。ですから、われわれにとって、日本の皇軍は立派な教師だったのです。−略−
佐々木 今日、毛主席からひじょうに寛大なお話をうかがいました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。
毛沢東 なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。
佐々木 ありがとうございます。
毛沢東 過去のことは話さないことにしましょう。−略−
毛沢東の主治医として永年毛の身辺を離れなかった李志綏博士が、毛沢東の死去後、著した『毛沢東の私生活』(文藝春秋社発行一九九六年、上下巻)の中で、一九七二年二月二十一日、アメリカのニクソン大統領と毛沢東との会談の中で、そのことが紹介されています。「毛沢東の話によると……一九三〇年代に日本が中国に侵攻しなかったならば、日本の侵略者に対し共産党と国民党が共闘をくむようなことはなかったろうし、また共産党は脆弱(ぜいじゃく)すぎてとうてい権力の奪取などかなわなかっただろう。共産党からすれば、日本の侵略は悪事が善事に変換したのであり、むしろ感謝しなければならない」と言ったと書かれてあります。
次に同年九月にわが国の田中首相と毛沢東との会談のようすが紹介されています。
「毛沢東はニクソンよりも田中との会談のほうがずっと心強く、親しみ深かったと思った。田中が日本の中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛沢東は日本侵略の『助け』があったからこそ共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだと請けあった。……」
毛沢東は言うまでもなく中国共産党の指導者であり、日本や国民党と直接戦った当事者。盧溝橋事件〜支那事変に至る過程の中で戦争を煽るコミンテルンや中共のテロ行為があったという説もある。
実際、日本と国民党が和平で合意し、国民党が共産党の掃討に集中すれば、支那の共産党勢力は崩壊していただろう。
毛沢東のホンネが垣間見える。
毛沢東はA級戦犯をはじめとする過去の事は水に流し、日本との平和友好を考えた。国内事情の不満を日本に逸らすため、日本からATMのようにカネを引き出ししゃぶり尽くすため靖国神社を外交カードとして利用する現中共の指導部など姑息で無能な小者に過ぎない。
もちろん日米と平和条約を結んだ当時、ソ連との対峙や文革の失敗など政治的に追いつめられ日米と接近しなければならない背景などもある。
ま、明日には小泉首相が靖国神社に参拝し、アフォTBSとかがジオラマとかヘリコプター動員して、小泉劇場のお祭り騒ぎを煽り靖国の英霊を貶めるに違いない。
こういうマスコミはいざという時にあっという間に政権側について戦争を煽るだろう。創価公明党の言葉なんて有り難がってるしな。
支那も朝鮮も靖国を煽れば煽るほど小泉政権安倍政権に利用されるだけでなく、日本人の靖国神社への憧憬が深まり人々が集まることを理解した方がいいよ。
ともかく、中国共産党の言う事はその時の自分の都合、国益、勢力関係、国内事情でコロコロ変わっていくので、いちいち耳を傾ける必要は無い。
平気で約束を破る、言質を変える、嘘をつく、開き直る、責任を押し付けることは支那の歴代政権を見ても全く進歩がないし、支那政治の伝統的前提と考えなけりゃなんない。
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